1日に3回以上も荷物が来る毎日。
辞めたくてたまらないのに買い物を続けるために盗みを繰り返した私
名前:RYOU 年齢:34歳 男性 会社員
⚪︎買い物依存症の進行と症状
私は26歳の時「買い物依存症」と診断されましたが、小学生の頃から買い物依存症の症状がありました。怒られないようにいい子でいなくてはならない私は、自分の感情と期待される役割で苦しんでいました。
そんな小学生の私は、祖母の財布からお金を盗んで買い物をはじめました。窃盗は高校卒業まで続いていたと思います。私にとって唯一楽になれる方法が「買い物」でした。
大学3年生の頃には借金は70万程に膨らみ、月々利子しか払えないような状況が続きました。借金で苦しくなってしまい、親戚に連絡を取りお金を借りようとしましたがうまくいかず、結局家族にすべてを打ち明けて、代わりに借金を支払ってもらったことがあります。
就職して1年間は、給与の範囲で生活できていましたが、仕事でかかる負荷が大きくなると同時に崩壊し、月の支払いは月収の2倍以上になっていたと思います。配達やコンビニ受け取りの回数は、ひどいときには1日3件以上あり、注文した記憶が曖昧なものさえありました。
⚪︎買い物を辞めるため・・・・

買い物をやめるために、通販ショッピングのアカウントを削除する、クレジットカードを切る&解約する、携帯決済の利用上限額を最低額に設定する、お金を貯めるための自己啓発本を読むなどあらゆる手を尽くしました。しかし、どうしても買い物をやめることが出来ず、ついに私は働いていた病院で担当していた患者さんのお金を盗んでしまいました。
いつも買い物をした後は後悔と罪悪感に苛まれ、死んでしまいたい思っていました。特にお金を盗むときは「もう絶対こんなことしたくない」「絶対に今回で辞めるんだ」と思って盗み、支払いの清算が終わったのちは、しばらく慎ましい生活をします。しかしそんな生活は長続きせず「これを買うことが解決策に違いない」「これくらいは買っても大丈夫だろう」という狂った考えが私を支配し、買い物は止まらずに盗みと買い物を繰り返す生活を1年以上も続けてしまいました。
⚪︎受診と自助グループとの出会い
患者さんご家族から「身に覚えのない出金がある」と勤務先の病院に連絡があったことでついに窃盗が露見し、最終的には警察署に自首するに至りました。身元保証として母親が同伴であったこと、弁護士を立て被害弁償を進めていることが考慮され、逮捕には至りませんでしたが勤務先は懲戒解雇となりました。
こんなひどいことをしてしまう自分に対しての疑問や嫌悪、病気であれば仕方ないのではという自己正当化、保身などの色々な感情が合わさり病院探しを始めました。
私は「クレプトマニア(病的窃盗)or 釣り依存症?(この頃釣り具にお金をかけていたため)」なのではないか?と考えていました。最終的には郡山市のとあるクリニックで買い物依存症であること、アダルトチルドレンであることがわかりました。そして担当医からクリニックへの週3回の通院を3か月間、そして自助グループへの参加を提案されて買い物依存症の治療が始まりました。
⚪︎患者さんがくれた最後のチャンス

窃盗事件自体は、事件化しない(送検もされていない)ということで終結しました。
担当刑事さんが、被害にあった患者さんが処罰を望まなかったこと、被害額の弁償が完了していること、自首をしていること、通院して病気の治療を開始していることなどが考慮されて事件化をしない判断に至った理由を教えてくれました。さらに患者さんから「次の就職先を心配している」「お金に困っていたなら貸してあげたのに」と私のことを患者さんが皆心配していたと伝えてくれました。
「こんなクズの私になんて患者さんたちは優しいのだろう」「私はこんな優しい人たちになんてひどいことをしたのだろう」と事件化されずに安堵した感情と自己嫌悪の複雑な感情が渦巻いていました。いっそのこと恨み言の一言や罵倒だった方が、勝手ですが私にとっては楽だったかもしれません。ある意味「処罰しない処遇」が私には一番効果的な罰でした。
懲戒解雇された事実、自己嫌悪、これからの人生に対する恐れなどの経験は、まさに人生の「どん底」だったと思います。この当時の経験は「もう絶対経験したくない」そして「患者さん達が与えてくれたラストチャンスを大切にしたい」という想いが、買い物依存症をやめ続けていくためのストッパーになっていると思います。
⚪︎自助グループの参加は嫌だった

通院当初の私は、自助グループに参加するのが嫌でした。先生に「自助グループにいきなさい!」といわれるので仕方なく通っていたようなものです。しかし参加を重ねていくと「私と同じだ」「もしかしたら私もよくなれるかもしれない」「同じ悩みを持った人同士の会話が心地いい」という感覚が次第に芽生えていきました。
自分の悩みや問題について語ると「自分も同じ経験をしたことがある」「とても辛かったね」と声をかけてくれる仲間や依存をやめ続けて10年を超えるような仲間の姿は非常に心強かったですし、仕事や友人など社会との繋がりがなくなり、孤独になった私にとって唯一の居場所だったと思います。クリニックでの治療を一通り終えた頃には、自助グループへの参加が楽しくなっていました。
先生には「早くスポンサー(12ステップをやってくれる人)を見つけて下さい。」と言われ、内心では嫌だなと思いつつも「先生の言うことだから信じてみよう」とスポンサーを見つけて、12ステップをやるに至りました。その後、買い物に対する依存は徐々に止まり、買い物依存を手放して現在7年が経過しようとしています。
⚪︎依存を手放すための解決策
12ステップを通じて私は、依存症の根底にあるものが「生きづらさ」であると学びました。認知の歪みを補正して生活し続けていくことで、生きづらさが解消され、経済的にも精神的にも安定する時間が増えたことで、依存を徐々に手放すことができました。
依存と向き合うことは簡単ではありません。置かれた状況から「早く楽になりたい・・・」と思って依存してきた私たちにとって、時間をかけて治療するなど我慢ならないですし、依存を辞めることができるとは到底思えないものです。
残念なことにたくさんの仲間が治療の輪から離れていき「前回よりさらにひどい借金を抱えてしまった」「家族と離れ離れになった」「大きな事件を起こしてしまった」「亡くなってしまった・・・」そのような状況は決して珍しくありません。
だからこそ依存症の治療を始めたばかりの人にとって、依存を手放していくための最初で最大の解決策が「自助グループ」に通うことだと私は思っています。1人で抱えずに仲間の力を借りながら、依存と向き合う方がとても効率がいいです。
⚪︎最後に伝えたいこと

今これを読んでいる人は、医師や行政機関の窓口、家族、恋人から勧められて嫌々たどり着いたのかもしれません。それでもあなたのことを歓迎します。
自ら選んできた人も嫌だけどきた人も、心のどこかに「もしかしたら良くなるかもしれない・・・」という信じる気持ちが1%でもあったからこそ、ここに繋がっているからです。
1%でも可能性を感じて行動している時点であなたの回復は始まっています。時間はかかるかもしれませんが、これからミーティングに参加することで、健全で心にゆとりのある生き方を見つけられると信じています。いつかミーティングでお会いしましょう。





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